2000-05-08 第147回国会 参議院 行政監視委員会 第7号
その法律の第一条は「競馬の健全な発展を図つて馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与する」、そこで中央競馬会をつくるんだと。中央競馬会の定款を見ますと、事業の目的は「競馬の健全な発展を図って、馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与することを目的とする。」
その法律の第一条は「競馬の健全な発展を図つて馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与する」、そこで中央競馬会をつくるんだと。中央競馬会の定款を見ますと、事業の目的は「競馬の健全な発展を図って、馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与することを目的とする。」
中央競馬会の定款を見ますと、第一条ですが、ここでも「本会は、競馬法に基いて中央競馬を行い、もつて競馬の健全な発展を図つて馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与することを目的とする。」それは結構なんですが、果たしてそれだけでいいのかなという問題意識を実は持っておる。
○岩崎政府委員 中央競馬会法におきまして、その趣旨、目的が「競馬の健全な発展を図つて馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため、」と法律上定められておりまして、これを受けまして、中央競馬会の定款においても目的がただいま先生御指摘になったように「競馬法に基いて中央競馬を行い、もつて競馬の健全な発展を図つて馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与すること」ということにされております。
○江田三郎君 競馬が博打だとか何とかという議論がさつきあつたのですが、その点と私は関連するのですが、第一条で「競馬の健全な発展を図つて馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与する」、そういう点ですが、先ず競馬から若干の金が畜産振興費に振向けられるということはわかつておりますけれども、ここに言う畜産の振興というのは、ただそれだけのことを意味しておるのか、それから一体馬の改良増殖ということと競馬とどういう関係
○政府委員(大坪藤市君) これは先ほども申上げました通り、優秀な馬を選定いたしまして、それによつて馬の改良増殖を図つて参るわけであります。ただ出走いたしまする馬の種類といたしましては、先はど申上げました競走馬の種類によりまして多少異なつて参るわけでありますが、ともかくといたしまして、馬の競走によりまして、優秀な馬を選出いたしまして、それを基礎馬として改良増殖を図つて参るわけであります。
今も江田君が指摘するように、馬なども見ない、跳ぶことも見ないのだ、新潟で馬券を買つているようですが、馬券を買うことが主であつて馬の競争は従じやないのですか。
将来競馬が発達することによつて、馬がだんだんよくなつて行つて、外国へでも輸出するという問題になつて来れば、畜産振興ということになるかもわかりませんけれども、競馬そのものが畜産の振興にはそう寄与しているとは思いません。競走馬というものは、どちらかというと犠牲になつておるんです。
○大坪政府委員 競馬の目的につきましては、その見る人の考え方によりましていろいろの御意見があるかと思うのでありますが、払どもといたしましては、競馬につきましては、競馬を施行することによりまして優秀な馬を摘出し、それによつて馬の改良増殖をはかつて行く、その意味合いにおきまして、競馬を施行すること自体が畜産の振興の一つの大きな眼目である、かように考えておるのでありますが、そのほか競馬につきましては、付随的
しかもわが国の農業の地域的な実情の中において、北海道の二十七万頭を筆頭にして東北等が中心となつて馬の育成をやつておるわけでありますが、これはあくまでも農業生産に不可分な関係にある馬匹の改良増殖ということであります。
従つて馬の改良増殖の重点は、農耕馬、農用馬に重点を置いて改良増殖をはかつて行くということに持つて行かなければならない、こういうふうに考えておるわけでございます。
この点は厩舎制度といたしまして根本的に考えなければならぬ問題で、年をとつて馬の世話もろくにできなくて、行くところがない。また雇う方からいうと、解雇して新しいいい者にとりかえたいのでございますが、どうにもならぬという実情のように思います。
従いまして今回現行競馬法中国営競馬と民営競馬のうち国営競馬に関しまして、日本中央競馬会というものを創設いたしまして、この日本中央競馬会に現行の競馬を施行せしめることにいたしたのでありますが、本競馬会の目的は、ただいま御指摘のように第一条に規定しておりますが、「この法律は、競馬の健全な発展を図つて馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため」「日本中央競馬会の組織及び運営について定めるものとする。」
第一点にお伺い申し上げたいと存じますることは、法第一条におきまして、「競馬の健全な発展を図つて馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与する」云云という法律の目的が掲げられておるのでございますが、かかる法律の目的に対しましては、わが国競馬法の沿革から考えてみまして、多くこれは当時の軍部、すなわち陸軍の所要に基く馬匹の品質改良ということを背景とせられ、かかる要望に鼓舞激励せられて競馬が殷賑をきわめたと考えるのでありますが
行き詰まつた日本にお互いがひしめき合つて、馬の目でも抜こうというような考え方を持つておる日本のこの世相だ。海外にわずかの金をもつて出してやつたならば、日本の経済というものはどのようになるかという高度な考え方から、移民というものに対して当局は十分考慮されなければならぬ。私は谷川さんにもこの間ちよつと雑談でその話をした。
ところが預金のある人は、押麦を十俵くれとか、乾めんを五箱くれとかいつて馬に積んで持つて行く。ところが事実上預金のない、要するに零細農、貧農、これらは食いつなぎはできない。そこで組合へ泣いて来る、何とかしてくれ、組合員である以上、預金がないからといつてこの凶作において食糧をやらないというわけに行かない。そこで押麦を二俵とか三俵、乾めん一箱、そういうようなものをその雰細農民に渡しておるわけです。
大体昔と違いまして、今はもう家畜といえば牛と豚というくらいになつておつて、馬というのはずつとウエートが下つておる。まあこのほかに鶏というのがありますけれども、これは性質上対象にはならんと思つております。豚は私は対象にすべきだと思いますが、特にこの豚を外した理由を一つ伺いたい。
すなわち家族の構成いかんによつて、馬なら、若い衆のおるところでは馬車馬をやるとか、女子供ばかりのところでは農耕に簡易な小さい馬をやるとか、また牛であれば、慣行のあるところではホルスタインでもよろしいが、慣行のないところでは頭からホルスタインをやつたのではみんな病気になつてしまう、そういうことろでは雑種でなければならない。
また極東における日本の国際的な地位からいつても、何も中国、ソビエトと、向うが伸ばして来た手まで押し払う必要もないと思いますから、この点について、だまされたと思つて馬に乗れという言葉もあるわけです。
従つて馬を地方競馬へ流しまして、そうして地方競馬では御承知のように年間殆んどやつておるというようなチヤンスに捲き込まれまして、酷使するというような傾向が非常に顕著になつておるわけであります。先ほどのお言葉のように、競馬らしい競馬というので、国営競馬というものは非常に競馬の中でもいわば品のよいものと党議的に考えられておりまするが、それは馬の使い方も相当計画的に使つて行く。
ドイツの農民が自分の馬を苦痛に堪えないほど殿つて、馬があばれ出して来た。この馬は役に立たないといつて屠殺場に連れて行つた。こういう話があるということを書いております。私は吉田内閣の政治はこれであろうと思うのです。
かような意味で私共が競馬によつて馬の速力を向上いたし、而もこれが國民の娯楽に寄與いたし、あまつさえ財政を豊かにする一つの根源になるということであるならば、これは尚更私は結構であつて、これは末長く競馬のごときものはすべきものである、採用すべきであるとこんなふうに考えておる次第であります。
競馬だつて、今競馬場に反対する共産党の木村君からさえも、ああいう有力な意見が出る、競馬場ばかり多くしたつて馬がなければだめだということは、これはもつともな話で、その点私も同感だ。一体競馬をやつて勝馬に奨励金をやつているが、それは大部分牝馬の方に行つているけれども、木村君も言つたように、とにかく種牡馬の大切なことを忘れているようなことじや困るのだ。
○岡村文四郎君 日本の実情を考えて行つて、馬格の高い良馬を考え、その良馬が良馬として十分果し得るだけの用途があつかどうか。それより数でやつて行つて、安いものを出したら一体どうなるか、それはどう考えておいでですか。
厩肥はこれだけ得られるということが書いてあつて馬の最も尊ぶべきところの能力、役ということの関係が少しも考えていない。このような考え方で畜産を奬励しておつたのでは、ただそのつぶしを考えておる。畜産はつぶしを考えておる。そうでない。生きておるものがどう活躍するかということについて重点をおかなければ、畜産の奬励はできない。
なぜかと言うと、そこから得たところの予算によつて、馬をたくさんつくらせるようにしなければならない。これを私は農林大臣の考え方が間違つておるのではないかというふうに考えるのであります。現在のところでは、午前中もどなたか仰せられたが、大体馬というものを武器のように考えて、馬をなくするというなら別問題であります。
漸次馬の頭数も増加して参りまして、今後有畜農業として大いに役立つて行くのでありますが、この機運を落さずにますます有畜農業の面に向つて、馬の生産に努力して行きたい、かように考えておるわけであります。
そこでこういう状況になりまして、今日ではそういう考え方はもちろん全然持つていないわけでありますけれども、馬は農業経営上、農耕馬として馬の利用を促進して行かなければならない必要性につきましては、今日といえども当時と同じようにその必要を認めておりますことは、先ほど大臣からのお話にもありました通りでありまして、私どもは馬はどうなつてもよい、從つて馬籍法もやめたのだ、去勢法もやめたのだというような考え方は、
それから今私が申し上げた通り、その管理のいかんによつて馬にも價格がついておるにもかかわらず、むしろ完全に管理した馬が高い。それから今日五年も六年も管理して、そうして過去の自分の馬を賣り飛ばした。そうしてそれを管理したものがこの際七万も八万も十万も出さなければ自分の馬が手に入らぬという、そんなばかなことはありませんので、これをはつきりしないと私はいけないと思つておる。